天命に耳順う

多くの誕生日のメッセージをいただきありがとうございます。
年末で何かとお忙しいところ有難うございます。

[論語為政「六十而耳順」](修養ますます進み、聞く所、理にかなえば
何らの障害なく理解しうる意) 60歳の異称。  広辞苑

これからはより何事にも抗(あらが)わず、
not anti but natural agingをこころがけ、
水の如くしなやかでありたいと思います。

自分の心の声を聞き、得たい結果を明確にする。
欲することを素直に行動し、
かつ自然の流れを大切にして生きていると
ストレスがなく、生活に充実感がある。

言葉、心と一貫した行動を取り続けていると、
やがて、共時性(シンクロニシティ)や奇跡が起きて、協力者が現れる。

そして、自分次第の人生を送ることができる。

また、※「柔は能く剛を制し、弱は能く強を制す。ー出展『三略』ー」
といいます。

争うことなく、一兵たりとも失うことなく、戦わずして勝つことのみを考える。
”人はそもそも完全完璧、愛そのもの”であることを信念としてまいります。

剣の道を究めたわけではないですが、かつては、竹刀を以て心を磨きました。

剣道の仙人は、竹刀ではなく笹竹を持って
一切、無駄な動きをせず、
相手が息が切れるのを待ち労せず勝つと聞いています。

さて、人生の達人とはどのような人のことを言うのでしょう。

孔子曰く、
七十歳では自分の思い通りに振る舞っても倫理規範を外れることがない、
「自分の欲望をコントロールすることができる。」
または、「欲望に左右されない心の安定を持つ」ことのようです。

人生の節目の歳であるべき姿は、以下のように言われてきました。

人生まれて十年を幼といいて学ぶ(幼学)
十有五にして学に志ざす(志学)
三十にして立つ(而立)
四十にして惑わず(不惑)
五十にして天命を知る(知命)

六十にして耳順がう(耳順)
七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず(従心)

― 孔子 ―

いままで、人生の節目にどのようなことがあったのか、
それによって何を学んだのか振り返ってみました。

■人生まれて十年を幼といいて学ぶ(幼学)

保育園のころオルガンを習い、音楽に目覚め、
小学校5年生で音大の教授に師事する。
先生の座右の銘「できないんではない、できるんだ。」が”自分の静かなる中心”となる。

■十有五にして学に志ざす(志学)

学問とは何かをつゆ知らず、地頭を鍛えることを怠り、
また、自らの引き出しを多く作ることが肝要なことに気がづかず、
文教の教科の知識、インプット型の勉強が学問だと勘違いしていた。

けれども、実学、地域の歴史・文化を学ぶ郷土研究の活動で、
古墳・遺跡を竹べらで掘って、時空を超えることに浪漫を覚え、
野仏の拓本をとっては古(いにしえ)に思いを馳せた。

よくサツキの挿し木、交配で新種の花を作り、
渓谷を登っては、横野石(溶岩)を集めた。

祖父に草鞋(わらじ)を習い、
欅(ケアキ)でお椀を作り、桜の薪木に”鮎の滝登り”を彫っていると
創作に熱中して、あやしゅうこそもの狂おしい気持ちになる。

■三十にして立つ(而立)

会社の文教事業に貢献し、
子どもたちに「できないんではない、できるんだ。」を
伝えることを自分と約束(ミッション)する。

「寧ろ鶏口となるも牛後となるなかれ」
教育分野で独立したいと夢を抱く。

■四十にして惑わず(不惑)

ホップ、ステップは営業畑にて、
三十七歳で約40名、一都首都圏甲越8県を統括するも、
部長にも部下にも誰にでも良く思われたい、

最後はオレが責任を取るという覚悟が足らず、
保身に走った自分の器の小ささに失意する。

四十歳にして
新規事業開発、M&A・事業投資、
ファンドをマネジメントするというコーポレートに配属され、
創業家社長の直属となる。

水を得た魚のように仕事が楽しくて出資案件を多くディールするも、
社長によく梯子を外される。

とうとうSONY出身で総務畑、リストラ屋のM社長に
部門を解体させられ大いに惑う。

そんなに直ぐに300億円のM&Aの案件など出てこない。

「コ―ポレ―トのお客様は、いったい誰なのか」
この質問にグロービスの講師をやっていたという経営革新室の
役員は「コーポレートの顧客は取締役です。」と答えた。

「このわけのわかっていない取り巻きの役員やリストラ野郎、
それを連れてきた創業家F会長がオレの顧客なのか!?」
社長や会長のお客様はエンドユーザーではないのか

■五十にして天命を知る(知命)

3つの目標、経済的に拡大する、パートナーと家族を増やす、健康と体力づくり
これら全ての基礎は心のこと、自分の認識のことだと悟る。

「本当の自分の声」を聞かないで誰か他(ほか)の人を真似て、
その他人のような人生を歩んでいて大きな怪我と病気をする。

そこで、帯津良一先生に偶然、出会い、自然治癒力に興味を持つ。
自然治癒力とは、「心の安定」が70%から90%を占めており、

後は「食養」と「氣」。
また、ホリスティック(統合)食養学を学び、
究極、効果的な食べ物・食べ方は個々人によって異なる(バイオ個性)とわかる。

「氣」とは呼吸のことで、臓器と臓器の隙間に氣(酸素)を送ることで
自然治癒力が高まる。
そのため、HATHA YOGAが効果的であると気づく。

がんで亡くなったき祖父、故人の父親から降りてきたミッションは、
「近親者に病歴があれば特に、早期発見のために定期検診を受けよ。
日頃からストレスをためることなく、心の安定に努めよ。
そして、このことをあまねく知らしめよ。」であった。

人間まるごとを見るホリスティック医学の第一人者 帯津良一先生と
心の学校の佐藤康行学長による
ジョイント講演会「がんと心の関係」を企画、主催した。

ところで、歳を重ねることは、案外いいことかも知れない。
三十数年ぶりにかの地を訪れたり、人と再会することができる。

また、義理、人情、浪花節(G.N.N)と純粋な気持ちを大切にして、
信じた道を諦めずに進んでいると『まだ、やってんの』と言って必ず応援者が現れる。
そして、一貫して行動していると心が安定して落ち着くことがわかってきた。

まだまだ時に迷い、人を悪化することもあるが、
出来事の良い点を瞬時に観ることができるようになっている。
小事に惑わされず、天命に従えば愉しきことのみ観ることができるような気がする。

※【注釈】「柔は能く剛を制し、弱は能く強を制す。」

しなやかなものは弱そうに見えても、かたいものの矛先をうまくそらして、
結局は勝つことになるということのたとえ。
『三略』には「軍神に曰く、柔は能く剛を制し、
弱は能く強を制す(兵法の書にいう、柔らかいものはかえってかたいものを押さえつけ、
弱いものはかえって強いものを押さえつける)」とある。
「能く」は「良く」と同義であるが、
動詞の前に置いて能力の点で可能であることを表す際には「能く」を用いる。

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